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長崎地方裁判所 昭和31年(行)2号 判決

原告 古川湊

被告 佐世保市教育委員会

主文

原告の依頼休職処分の無効確認を求める請求を棄却し、その余の訴を却下する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

原告は、被告が昭和三十年七月十二日付で発令した原告に対する依願休職処分は無効であることを確認する、被告は原告に対し金六万七千三百三十八円及びこれに対する昭和三十一年二月二十二日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払わなければならない、訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、その請求原因として、原告は昭和二十五年四月一日佐世保市立山手小学校々長を拝命し、爾来同校の責任者として同校経営の衝に当つていたところ、同三十年六月二十三日意外にも刑事上の容疑者として佐世保警察署刑事等から右小学校及び原告家宅の捜索を受けその後日を追つて警察当局の捜査は峻烈になり、学校関係者の取調が行われ、同年七月十一日原告自身警察署に逮捕拘禁された上引続き、検察庁の手で取調を受け、同年十一月十八日起訴猶予処分に付せられたのであるが、被告は、これに先立ち同年七月十二日原告に対し依願休職を命ずる旨発令した。

けれども、一般に行政庁が公務員を任免(休職をも含む)する場合において、当該公務員の意思表示(退職願、病気休職願等)を必要とするときは、その意思表示は、文書をもつてすべき要式行為とされ、当該公務員が任意の意思に基き文書を作成して自ら署名捺印するのでなければ、その意思表示は無効であると解すべきところ、本件依願休職処分は、原告の真意による休職願に基いてされたものではなくして、被告の手により勝手に原告の休職願書(乙第三号証)を作成し、原告の氏名を記入した上、右十二日教育長金谷林作をして拘禁中の原告の許にこれを携行させ、原告に対してその名下に拇印するように命令したので、公法上の特別権力関係に立つ上司たる被告の命令に服従すべき義務を負う原告は司法警察職員の監視的立会の下に考慮の余裕さえ与えられないまま自己の意思に反してこれに拇印したのであるから、斯様な休職願書は形式上は勿論実質上も休職願書としての効力を有せず、従つて、本件休職処分は、原告の意思に反してされた一方的な処分にすぎないものというべきである。

仮に右休職処分が真実原告の願出に基いてされたものであるとしても、地方公務員法第六条第一項は、任命権者の任免(休職をも含む)は、法律並びにこれに基ずく条例等に依拠してされなければならない旨を明定しているにもかゝわらず、依願休職については、同法その他の法律は勿論、これに基ずく条例等にもこれをし得ることを認容した何等の規定も存在しないから、原告に対する本件依願休職処分は、法律上無効のものと解するのが相当である。

そればかりでなく、元来公務員の任免(休職をも含む)は、要式行為として文書(辞令)の交付によらなければならないのに、原告は、被告から本件休職辞令の交付を受けていないから、右休職処分は、まだ効力を発生していないものというべきである。

なお小学校の教職員に対する給与等の支給義務者は、県教育委員会であるから、被告が給与等に影響を及ぼす休職処分をするのについては、長崎県教育委員会の承認を受けることを要するのに、これを受けていないから、右休職処分は、この点からも無効である。

そうだとすると、原告は従来通り小学校長として俸給その他の給与の支給を受ける権利を保有している筋合であるから、本件依願休職処分の無効確認を求めると同時に、被告は長崎県教育委員会から原告に支給すべき給与等の引渡を受けて現にこれを保管しているので、被告に対し、右処分のあつた昭和三十年七月十二日以降休職期間たる同年九月二日までの俸給等金六万七千三百三十八円の支払を求めるため本訴に及んだ旨陳述し、なお被告の答弁に対し、仮に本件休職辞令が原告の長女に手交された事実があるとしても、同女は、昭和十二年十一月一日生で、当時はやつと十七歳の未成年者にすぎなかつたのであるから、まだ意思表示を有効に受領する能力を有しておらず、従つて同女に対する辞令の交付によつては、適法な意思表示の到達があつたものということができないこと勿論であると述べた。(立証省略)

被告代表者は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として、原告の主張事実中、原告がその主張のように佐世保市立山手小学校々長として同校経営の衝に当つている内、犯罪の嫌疑により佐世保警察署の手により右小学校及び原告家宅の捜索、学校関係者の取調を受けた外、原告自身その主張の日時逮捕されて同警察署に拘禁され、その後検察庁で引続き取調を受けて、起訴猶予処分に付せられたが、被告がこれに先立ち昭和三十年七月十二日原告に対し依願休職を命ずる旨発令したこと、右休職処分が、原告の休職願書(乙第三号証)に基いて行われたこと、及び被告が原告に対し、その主張の期間に亘つて、給与を支給しなかつたことは、いずれも認めるが、その余の主張事実はすべて否認する。原告の前示休職願書は、原告の任意の意思に基いて作成されたものであつて、本件休職処分は、何等原告の意思に反するものでない。又右休職辞令は、被告において、原告勤務の山手小学校教官浦タマをして原告方にこれを持参させたが、同人が不在であつたため同人の長女に原告への手交方を依頼して交付したのであるから、適法な辞令の交付があつたものというべきである。なお、被告が原告に給与しなかつたのは地方公務員法第二十五条の規定に準拠したものである。

斯様な次第だから、原告の本訴請求は失当たるを免れない旨陳述した。(立証省略)

理由

原告が、その主張のように佐世保市立山手小学校々長として同校経営の衝に当つている内、犯罪の嫌疑により佐世保警察署の手により、右小学校及び原告家宅の捜索、学校関係者の取調を受けた外、原告自身その主張の日時逮捕されて同警察署に拘禁され、その後検察庁で引続き取調を受けて、起訴猶予処分に付せられたが被告がこれに先立ち、昭和三十年七月十二日原告に対し依願休職を命ずる旨発令したこと及び右休職処分が、乙第三号証、休職願書に基いて行われたことは、当事者間に争がない。

原告は、右休職願書は、被告が勝手に作成し、原告の氏名を記入したものであり、その名下の拇印は、原告が上司たる被告の命令により自己の意思に反して押したものであるから、本件休職処分は、原告の意思に反する一方的な処分にすぎない旨主張するけれども、これを肯定すべき何等の確証も存在せず、むしろ成立に争のない乙第三号証及び証人金谷林作、川口昇の各証言を綜合すると、原告逮捕の報に接した被告委員会教育長金谷林作が、今後の学校運営方法等を原告と打ち合わせるため、同委員会管理主事川口昇を同伴して、佐世保警察署に原告を訪れ、面接したところ、原告は眼に涙を浮べながら、まことに申し訳がないから、退職させて貰いたい、それができなければ休職でも何でもよい、自分の処置を一任する旨申し出た上、偶々川口主事が万一の場合のために予め作成し携帯していた乙第三号証、休職願書中の原告名下に任意に拇印して金谷教育長にこれを手渡した事実を是認するのに充分であるから、右休職願書は、原告の自発的な意思に基いて完成されたものと判定すべきであり、同書中の原告の氏名が川口主事の代署にかゝることは、願書としてのそれの効力に何等の消長をも及ぼすものでないこと勿論である。してみると、本件休職処分も亦、依願休職処分としての要件を完全に充足していたものというべきである。

そこで次に、依願休職処分が我法律上果して許容されているかどうかについて按ずるのに、地方公務員法第六条第一項が任命権者の任免権の行使は、法律並びにこれに基ずく条例に依拠してされなければならない旨を明定しているにもかゝわらず依願休職処分については、同法その他の法律は勿論これに基ずく条例等にもこれをし得ることを認容した何等の明示規定も存在しないことは、まさに原告所論のとおりである。そうして、元来本件原、被告の場合のようにいわゆる特別権力関係に立つ当事者間においても、権力者は、法規上の明示的な根拠のない限り、たとえ服従者の同意を得たとしても、濫りにこれに対して不利益な処分をすることができないのを原則とすることは多く言うを待たないところであるけれども、しかもなお当該特別権力関係の目的に照して不利益処分をする差し迫つた必要があるばかりでなく、服従者自身も該処分によつて生ずべき不利益な結果を充分認識した上同意を与えており、社会一般の良識から判断してそうするのが至極尤もだと思料され得るような特別な場合には、たとえ法規上の明示的な根拠がなくても、右の限度内で例外として服従者に対し、依願休職ないしは事宜により依願退職等の不利益処分をすることができるものと解するのが、特別権力関係の性質に徴し、なお法規上の明示的な根拠がないにもかゝわらず依願退職処分の許容されている事実から見て、まことに相当であり、これを本件について観るのに成立に争のない乙第一、二号証、証人金谷林作、川口昇の各証言を綜合すると、前述のように原告が嫌疑を受けた犯罪というのは、佐世保市立山手小学校長たる原告が、同校経営全般の責任者として、且つ佐世保市小学校長会の委嘱を受けた視聴覚の研究部長として父兄の納入した公金及び同校に配当された市予算その他諸費用の徴収保管払出の責任をもつて公務に従事中、昭和二十五年以降右身分を利用して有印私文書偽造行使その他の方法により市費並びに視聴覚費、育友会費、学校給食費及び炭坑不況による欠食児童の救済義捐金等相当金額を不正支出並びに横領費消した所為を内容とするものであることが明かであり、原告がその職務に関連するか様な破廉恥罪を犯したという嫌疑をかけられた上、警察当局の取調等を受け、あまつさえ逮捕拘禁されるに至つたことは冒頭認定のとおりであるから、本件依願休職処分当時原告には教育及び教育行政上の重要な職務を引続き執行させることのできない差し迫つた必要が存在したものと断ずるのをはばからないばかりでなく、原告は前認定のとおり申し訳がないからといつて涙を流して、自発的に休職を願い出たものであり、しかも弁論の全趣旨によると、当時原告は、依願休職によつて生ずべき不利益な結果を充分認識していたものと、推認するのに難くないのであつてこれ等諸般の事情の下では社会一般の良識から判断して原告を依願休職処分に付することは至極尤もな処置だと思量されるので本件依願休職処分は、適法有効であると判定するのが相当である。

原告は、被告の右休職処分には、長崎県教育委員会の承認がないから、無効である旨主張するけれども、斯様な主張を肯定すべき何等の法規上の根拠も存在しないから、右主張は採用し難い。

次に、原告は、被告から本件休職辞令の交付を受けていないから右処分は、まだ効力を発生していない旨主張するけれども、成立に争のない乙第五、六号証、証人金谷林作、川口昇の各証言によると、被告委員会金谷教育長は、本件依願休職処分発令当日同辞令を原告に届けるように命じて、山手小学校々長事務取扱加島福一教頭に交付したところ、同教頭は帰校後更に同校講師浦タマに右辞令の交付方を依頼し浦講師は、翌日原告方にこれを持参したが、原告夫婦共に不在であつたゝめ、唯一人留守居中であつた原告の長女(昭和十二年十一月一日生で当時高等学校在学中)に対して原告に渡して呉れるように依頼して辞令を交付した事実を看取することができ、原告の長女が当時既に意思表示の受領能力を有していたことは、同女の年齢及び教育程度から見ても明かであるから、本件休職辞令は適法に原告に送達されたものというべきであり、原告の右主張も亦採用し難い。

そうだとすると、原告の本訴請求中本件依願休職処分の無効確認を求める部分は、失当として所詮棄却を免れないところであるから、更に進んで、被告には、果して原告主張のような給与支給義務があるかどうかについて按ずるのに、昭和二十九年四月十三日長崎県条例第七号市町村立学校職員の給与に関する条例第五条第五項によると、長崎県内の市町村教育委員会は、長崎県教育委員会と協議の上、すべての市町村立学校職員の職を同条第一項に規定する級のいずれかに格付し、長崎県教育委員会は同条第三項の給料表により学校職員に給料を支給しなければならない旨規定されているのであるが、元来この規定は、県教育委員会ないしは市町村教育委員会を夫々県ないしは市町村における教育行政上の一機関、すなわちいわゆる行政庁として、これに市町村立学校職員に対する給与支給等の衝に当らせることにし、その手続を定めているだけに止まり、市町村立学校職員に対する実体法上の給与支給義務者としての権利能力を有するものが県であることは、昭和二十三年七月十日法律第一三五号市町村立学校職員給与負担法第一条の規定に照して疑を容れないところであるから、依願休職処分の行われた場合にもなお被処分者が給与等の支給を受ける権利を持つているかどうか、及びその支給の程度等本案についての検討を待つまでもなく、行政庁たる被告委員会に対して給与の支給を求める原告の本訴は、当事者を誤つたものであり、不適法として、却下を免がれないものと断ずべきである。

そこで訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八十九条を適用し主文のとおり判決した次第である。

(裁判官 林善助 田中正一 梨岡輝彦)

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